みつひろ会長 column       
バックナンバー                                 

・NO.17 テレジン子どもの絵画展
〜子どもたちのアウシュビッツ〜


・NO.16 22回目の天城越え

・NO.15 多くの方に感謝

・NO.14 おかげさまで30年

・NO.13 『夕張応援映画祭』に
          行ってきました


・NO.12 心はいつも前向きに(2)

・NO.11 心はいつも前向きに(1)

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・NO.10〜NO.1
NO.18 人間考えさせられた8日間
 市立松戸高校に榎本正文という教師がおられる。榎本先生は十数年にわたって、タイ北部のチェンライでタイスタディツアーを実行されている。過日、そのスタディツアーに同行させて頂いた。
動機はと言うと友人の和久深雪さんに誘われて市立松戸高校のタイツアーの報告会に行った時のこと、生徒の涙ながらの真剣な報告を聞き、今時こんなに真剣に物事に取り組む高校生がいることに感動を覚え、一体タイで何があったのだろう?と関心を持った事。次に、同じく市松ですが、タイで25年間、農業指導をされている谷口巳三朗という農学博士の講演を聴いた。榎本先生が最も尊敬されている方だ。谷口先生は熊本県の出身で定年後すぐチェンライに入り谷口農場を造り、苦節25年間、今では25ヘクタールの農地を開墾されて地元から絶大な信頼を受けておられる方だ。その他、エイズ患者の救済や里親制度の支援をされている。その農園も見たくなった。そこで榎本先生のお願いしてのタイ行きとなった。8日間だったが感動と感涙の連続だった。高校の一教師が、年に3回も生徒を連れて行くだけでも大変な事だが、卒業生を中心に「ひよこホーム」という山岳民族の子供たちの寄宿舎運営や教育支援を長年継続している事に頭が下がる思いがした。話には聞いていたが、聞くと見るとでは大違い、早速1口3万円(1年間)の里親になる事にした。
 榎本先生の仕事はこれで終わらず、エイズ患者への支援や他のホームへの支援もされていたし、途中参加の送迎や私や生徒のお世話で寝る暇もなく大車輪の活躍をされていた。
 榎本先生と谷口先生の深い親友と友情の歴史の一コマを垣間見ただけで偉そうにいうことは出来ないが、お互いが信頼しあう姿に年齢差もタイと日本の距離も感じさせない素晴らしさを感じた。
 私もアフガンに学校を作って国際貢献をしていると悦に入っていたのが恥ずかしい感じた今回のツアーだった。多分希望すれば誰でも参加できると思う。希望者はぜひ参加されたし。
NO.17 テレジン子どもの絵画展〜子どもたちのアウシュビッツ〜  BACK
 一月のある日、つくば市にお住まいの川崎さんに連れられて牛久市で開かれていた『テレジンの子どもたちの絵とコンサート』へ行った。
 第二次世界大戦中、ナチスがユダヤ人をアウシュビッツで虐殺した話は有名ですが、テレジン収容上の話は初めて知った。テレジンは当時のチェコスロバキア、今のスロバキアにあり町全体が収容所になっていて、約15,000人の小・中学生がアウシュビッツに送られる前に収容された場所だった。子供たちは飢えと寒さの中で大人たちの命がけの指導と励ましによって4,000点を越す絵や詩を残していた。
 野村路子さんという方がテレジンに通い、懇願して持ち帰った絵を提供し各地で展覧会を開催している。
 テレジンの子供たちはいずれ自分の家に帰れるという希望を持ち、それを信じて絵を描き続けた。会場には70枚の絵が飾っていたが、どれもこれも胸を打つ作品だった。会場ではすすり泣く女性の姿もあった。
 15才のイェフダ・バコンは死体から金属を取る特殊任務に従事しいてる限り、アウシュビッツ行きは免れる事が出来る。彼は心を閉ざして来る日も来る日も死体置き場で死体の口を開けて貴金属を探し抜き取る仕事をしていた。ある日、彼は自分の父の死体を見つけますが、感情を壊された彼は、泣くこともせず父からも金歯を抜いたという。助かりたい一心で、誰もが嫌がる仕事をしていた彼は、戦後精神病院で療養生活を送ったそうです。
 ヨーロッパには800〜900箇所にユダヤ人の収容所があった事を初めて知った。
 まだまだ親に甘えたい7才で父母と離れ、過酷な労働に駆り出され三段ベットに詰め込まれた子供たち。病気になるとたちまちアウシュビッツ行きになって死んだ子供たち。
 テレジンの子供たちが命と引き替えに書き残してくれた絵や詩は平和ボケして怠慢を貪っている私達に、衝撃を与えるに充分だった。
 私は今年中に松戸で『テレジン子どもの絵画展』を開き、多くの方々にぜひ見て頂きたいと今から構想を練っている。
NO.16 22回目の天城越え                          BACK

 新年の挨拶に伺うと「今年も天城越えですか?」と聞かれる事がある。数えると22回目の天城越えになる。
しかし、今年は天城越えではなく西伊豆の松崎町の散策であったが説明するのが面倒だから、つい天城越えと応える。 
 しかし、22年間正月に続けて伊豆半島に行っている人はそうざらにはいないと思う。なぜ今年は松崎町なのかというと、メンバーの中心人物の永田博義さんが「日本棚田学会」に関係した縁で2年前に松崎町長と実懇になり、私達が毎年天城越えをしているという話から、松崎壮という国民宿舎を紹介して下さり、今回で2度目の宿泊となった。宿に着くと深澤町長と森観光課課長、馬場係長のお三方が迎えてくれます。宴会もお酒や金目鯛でもてなしてくださるだけでなく、自費で最後まで参加してくださるのだから面白い。地元で作った「百笑」という米焼酎を振る舞ってくれたが、これは美味しかった。  深澤町長は挨拶だけで帰られると誰もが思っていたが、カラオケは歌うし最後まで付き合って下さるのには感激した。馬場係長は食事もしないでカラオケの司会でみんなを楽しませて下さるし、森課長は歌も上手いし、ご自慢の手品も披露してくださり、三人三様で歓待してくれる。私達も大いに盛り上がり夜が更けるまで飲み明かした。役人という立場ではなく、人と人、友と友、まさに友情の芽生えである。私達は、いい宿に泊まらさせて頂き心から歓待を受けた。明けて4日、町役場は8時から仕事が始まるのである。本当に人情厚い松崎の人達である。
 翌日は棚田見学や長八美術館を見学し帰路に着いた。歩く距離は少し物足りなさがあったが、それに余りある心のふれあいがあった。
 松崎町のお三方には、本当にお世話になった今回の天城越えであった。


NO.15 多くの方に感謝                            BACK

 正直言って30年も会社が続くなんて考えてもいなかった。何年続けるかというより、毎日、毎月が勝負だった。一年が経過した時、小躍りして喜んだのを覚えている。なにしろ商売などやった事は無く、やろうと思った事も無い。商売は向かないと思っていた私が思いつきで独立開業したものだから、周囲も気を揉んだに違いない。そんな私を手取り、足取りで商売を教えてくれた汲ヘつみ商事の先代社長(故人)には本当にお世話になった。(合掌)
商売を始めた年は長女が小学校2年生だったが、土日が仕事なために学校参観は一度も行ったことがなく、全て妻任せという状態だった。今考えると子供たちには申し訳ない事をしたと思う。(後悔先に立たず)長男が4年生の時に何故か一度だけ父親参観に行ったことがある。その時の担任は日暮にお住まいの宮城先生で大変迫力のある熱のこもった授業だったことを憶えている。
その後、宮城先生のご自宅を建築させて頂いたのも何かのご縁というより他にない。
仕事を通して大勢の方とお会い出来るのもこの商売の良さだ。様々な方にお世話になりながら、未だに恩返しをしていない。が、まだ遅くはない、思い立ったが吉日だ。これから残された期間はお客様に恩返しをする期間にしよう。
そんな決意をした一日です。
30年間ありがとう。


NO.14 おかげさまで30年                         BACK

 会社が生まれて今年で30年になります。武蔵野線が開通する2年前でした。最初は、妻と2人の不安な出発でしたが、皆様のご支援に支えられて元気にお仕事させて頂いており本当に有り難いと思っております。当時、会社から新京成線八柱駅が見え、駅の周辺は閑散としていた。5坪程の借り事務所からスタートし、10年前に社屋を建て現在に至っております。
 始めて10数年になる駅周辺掃除は今も毎朝続けています。通行する人にとっては何気ない風景でしょうが、社員にとっては大変厳しい課題です。第一朝早く出勤しなければならず、冬の寒い朝は手が凍えそうだし、北風は身体に堪えます。逆に、これからの朝は暑くて汗が噴き出します。特に女性社員には本当に気の毒な気がしますが、「感謝の実践」としてやってもらっています。八柱駅周辺を歩く人がきれいになった駅周辺を見て気持ちの良い一日を過ごせるよう願いを込めての掃除です。そんな社員に「ご苦労様」と励ましの声を掛けて下さる方がいます。有り難いですね。声を掛けて頂くと社員も張り合いが出て有り難いが、ほとんどの方は無関心です。
 友の会(お客様の会)の会員の発案で『アフリカ難民救済バザー』が始まったのは24年前。16年間で1,075万円の募金を送った後、アフガンに学校を作る募金に切り替えて7年間で1,000万円の募金が寄せられました。皆様の温かいご支援に心から感謝しています。今年はこれから3棟目を建設する予定です。アフガンの子供の喜ぶ顔が堪らなく好きです。
30年の有り難さのひとつひとつを心に刻み、これからも感謝の心で生きて行きたいと思うこの頃です。


NO.13 『夕張応援映画祭』に行ってきました              BACK

 夕張市の財政が破綻し17年続いた「夕張映画祭」が出来なくなったというニュースが流れたが、映画祭の審査員だった品田さん(多摩美術大学名誉教授)が発起人となり、夕張応援映画祭が開催された。
 参加する事で夕張を応援する事になるならばと私は応援ツアーに入って夕張に出かけた。千歳空港駅から貸切列車で夕張入りをしたが、夕張市に入ってから停まらない駅も含めて、全ての駅で市民や子供達が手作りの黄色い小旗を振って迎えてくれる姿には感激した。涙が止まらなかった。終点の夕張駅にはさらに大勢の市民が詰めかけ「おかえりなさい」と笑顔で迎えてくれた。一年ぶりの里帰りという訳だ。初参加の私は夕張市民の熱狂的な歓迎ぶりに戸惑いながらも笑顔で「ありがとう」と答えたが、この瞬間から帰る日まで、まさに感動の連続だった。
 昨年7,000万円の補助金があった映画祭と違ってすべて手作りの応援映画祭は市民の暖かい支援によって開催された。炭鉱が無くなって13万人の人口が今や1.3万人を切っている状況に中で、悲観的なニュースばかりが報道されるが「どっこい、夕張は生きている」と言うのが私の印象だった。17年間続いた映画祭はしっかり夕張の文化的、知的な財産となっていた。1度は断念した映画祭が出来た喜びは私たちには分からない喜びだったに違いない。夕張再生ツアーという半日ツアーも食事付きで1,000円という安さだ。映画を見終わって帰ると空き地に石炭ストーブを設置して、ホタテや魚、餃子に豚汁、お酒にビールが無料で振る舞われていた。寒さと闘いながらも参加者と地元の人たちの暖かい交流がそこにあった。
 最終日の上映の後、お別れパーティがあった。帰り支度をしながら、もう一度会場をみると、パーティにも出席しないで、黙々と会場の後かたづけをしている多くのボランティアの人たちがいた。1,000人分を超える椅子等の片づけは大変な作業に違いない。もう一度「ありがとうございました。」の声を残して夕張を後にした。

 『負けるな夕張!』 『頑張れ夕張!』

NO.12 心はいつも前向きに(2)                    BACK
 
今年も正月三日に伊豆の天城越えハイクに行った。修善寺から昭和の森までバスで行き、そこから踊り子ラインを湯ヶ野まで5〜6時間歩く。今回で20回以上になるハイキングだが不思議と雨に降られた事はない。1度イノシシに遭遇した事はあったが、のどかで平和な正月の行事となっている。
 歩き始めると右下に流れるかわの美しさに感嘆の声が上がる。手付かずの自然がそのままの形で迎えてくれる。勢いよく流れる川の音で気分は更に爽快になる。落ち葉のじゅうたんを踏みしめ、急いで通過する車の音を遠くに聞きつつ、時間の贅沢さを感じながら歩く。

 数年前の台風で峠は未だに不通のため今年も旧天城トンネルを通る。トンネルを過ぎると下り坂になり、大きなヒノキや杉林の中を歩くがここも気持ちが良い場所だ。「寒天橋」が近くになると石川さゆりの「天城越え」をひとり口ずさむ。1時頃に短い昼食をとり、休養充分。また、歩き出す。そして林を通り急な坂を下り、わさび畑、太郎園地を経てかわず七滝に至る。
 日常的には駅の階段も競ってエスカレーターを利用する人達も、一旦歩くとなるとリュックを背負って歩き続ける。決断すれば、何でもやってしまうのが人間なのだ。じゃあ決断はどうすれば出来るの・・・?そうだ!目標だ!!目標をもっと決断できるのだ。目標を持っているから天城も歩けてしまう。それも誰にも強要されないのに元気に明るく歩く。これは、前号に書いた事ではあるが、目標を持ち決断できると迷いがなくなり行動が早くなる。
 目標と決断(心の健康)と歩く(身体の健康)は一体なのですね。
NO.11 心はいつも前向きに(1)                     BACK  

 最近、テレビや新聞でのサプリメント(栄養補助食品)の広告が多いのに驚く。それだけ、健康に不安な人が多いと言う事でしょうか。みのもんた氏の番組で『この食べ物が身体に良い』と宣伝するとその日スーパーは品切れになるという。日本国中一億みんな健康志向である。しかし一方、病院に行けば病人が溢れている。健康に良い物を食べていながら不健康な人が多い。平均寿命が延びた事も原因の一つではあるが、もうひとつ考えなければならない事、それは、心の健康という事ではないかと思う。
 身体に栄養とは誰しも考えるが、心に栄養をと考えている人は少ないと思う。実は「心」と「身体」は一体であり、心の健康なしには身体の健康はないし、身体の健康なしには心の健康も又しかりです。
 しかし、夜に出回っているサプリメントには残念ながら心を清らかにし、心を強くするような食品はない。それは、心は自分自身の注意や努力で健康になるからです。そのひとつには『過去を悔やまず、未来を悩まず、前後裁断、今に生きる』です。心を明るく健康に前向きに使う事を心がけましょう。
(次回に続く・・・)

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